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指揮者

河地良智(常任指揮者)

河地良智先生
桐朋学園大学指揮科に学び、斎藤秀雄氏、秋山和慶氏に師事。
1973年、第3回民音指揮コンクール(現東京国際指揮コンクール)で奨励賞受賞。二期会オペラやN響定期公演で、W.サバリッシュ氏、O.スウィトナー氏等の副指揮者を務め、1975年、群響正指揮者に就任。 その後も東響・都響・東フィル・新星日響、東京シティフィル、二期会合唱団の指揮台に立つ。
1983年より文化庁海外派遣員としてドイツ・バイエルン国立歌劇場でW・サバリッシュ氏、ミラノ・スカラ座にてG・パタネ氏等について積極的に歌劇場での研鑽を積む。 帰国後、モーツァルトのピアノ協奏曲全曲演奏を7年かけ完遂し、注目を浴びる。
また、日・米・伊共同国際ワークショップにおいて「蝶々夫人」のプレジャ版を初演し、二期会渡欧旅行公演同行の際には、ベオグラード・フィル、ハンガリー国立歌劇場管弦楽団を指揮する。
1991年より音楽之友社の企画する「モーツァルト・オペラ全曲シリーズ」の音楽監督として21曲全曲を指揮する。
1996年東芝フィルハーモニー管弦楽団アメリカ演奏旅行で、アーバン、ナッシュビル、ニューヨーク等各地で公演を行う。特に、カーネギーホールで行われた演奏会では日米各紙で取り上げられ注目を浴びる。
また、「すみだトリフォニーホール」のオープニング公演に墨田オペラの音楽監督として「カルメン」、5周年公演として「メリーウィドー」を成功させた。
最近では、日本ユンゲオーケストラを結成し、1998年と2001年に北京で日中合同オーケストラ公演の指揮をする。
そして、東京トロイカ合唱団に常任指揮者として、ラフマニノフの名曲「晩祷」連続公演や、2004年1月、文化庁国際芸術交流センター、オーストラリア・ブルゲンランド州、諫早市より文化特別賞等を受ける。
洗足学園音楽大学教授、同大学音楽学部長、東京芸術大学講師などを経て2011年より洗足学園音楽大学副学長、同大学院長、同大学名誉教授を歴任する。
そして音楽の国際交流や後進の指導、芸術文化の振興を目的とする日本アーツカウンシルの一翼を担うなど多方面に亘っての分野にも力を注いでいる。
河地先生は新潟大学管弦楽団のある意味で生みの親であります。河地先生がアドバイスをして下さったことはこれまで数知れず。 現在のそうそうたるトレーナーの先生を揃えて下さったのも河地先生のご尽力ですし、サマーコンサートも河地先生がいらっしゃった時に年2回の演奏会が必要という事で始まった演奏会です。 我がオーケストラにとって救いの神であったのは言うまでもありません。先生の50歳の誕生日の際には、先生の来新15年目にもなるという事で、ささやかながら感謝の意を表しました。

ヴォルフガング・ポデュシュカ (名誉指揮者)

ポデュシュカ先生
1919年、ウィーンに生まれる。 19歳で、ウィーン国立歌劇場の第1ヴァイオリン奏者、20歳でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団団員となる。
その後、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場のコンサートマスターを20年間、団長を4年間務めている。
また、この間ソリストとしてウィーン・フィル、ウィーン交響楽団と共演するとともに室内楽の分野でも活躍しており、ウィーン・フィルハーモニー五重奏団、ウィーン弦楽三重奏団を創立した。
カール・ベーム及びヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮のウィーン・フィルの全盛期の名コンサートマスターとして広く知られているとともに、ウィーン楽派の重鎮として活躍した。
1994年8月14日、オーストリアにて75歳の生涯を閉じる。
新潟大学管弦楽団には、1986年6月以来毎年来訪し、ご指導いただいていました。
1988年に指揮者として演奏会を開き、その後も90年、91年、93年の定期演奏会を指揮していただきました。
第5回東京公演の際には、故ヴォルフガング・ポデュシュカ氏の夫人であるテレーザさんにご挨拶をいただきました。下記に日本語訳し引用させていただきます。

新潟大学オーケストラ様へ

私は新潟に滞在していた頃を大きな喜びとともに思い出します。その当時は私の夫と私にとりまして本当に素晴らしい時間であり、たくさんの美しい音楽と素晴らしい体験は緊密な相互の共同作業により実現されました。 音楽への愛はこのようにして始まり、学生たちの勤勉さと努力を惜しまない向上心がいつも幸福に満ちた演奏会を可能にしたのでした。 オーケストラの皆様に、このような気高い精神と音楽への愛情が保持されていくことを願っております。私は亡くなった夫の魂が、彼の愛したオーケストラをいつも見守っていることと思っております。 私の想いもまたひととき、遠く離れた新潟大学オーケストラの皆様のもとへと馳せております。
オーケストラの未来に多くの幸運と素晴らしいハーモニー、大きな成功がもたらされることをお祈りしております。

心からの愛情とともに
皆様の テレーザ・ポデュシュカ

ライナー・ホーネック(客演指揮者)

ホーネック先生
1961年オーストリアのフォアアールベルク州(Vorarlberg)ネンツィング(Nenzing)に生まれ、7歳よりヴァイオリンを始める。
1969年ウイーンに移りウイーン音楽大学に学ぶ。J.Dorevo・E.Bertschinger・A.Staarに師事。
1977年ウイーンで開催された青少年音楽コンクールで優勝。
1978年ウイーン・フィルの「カール・ベーム財団」より奨学金を支給される。
1981年ウイーン国立歌劇場管弦楽団コンサートマスターに就任。
1992年ウイーン・フィルコンサートマスターに就任。
現在、ウイーンヴィルトゥオーゼンおよびウィーン弦楽ゾリステンのリーダーとしても活躍中。

ホーネック先生との出会い
8年にわたって続いたヴォルフガング・ポデュシュカ先生と私たちの親密な師弟関係が、ポデュシュカ先生の急逝という悲しい終わりを迎えてから、早くも3年の月日が流れました。 わずか3年とはいえ、メンバーが毎年確実に入れ替わる大学オケは、大きく変わってしまいます。 (中略) 世代交代が進み、現在執行部として活動している3回生をはじめ、その団員のほとんどが、ポデュシュカ先生の教えを受けたことのない世代となりました。 かつてウィーンの響きを目指していたことが、過去のものになってしまうことを残念に思う声も聞こえて来ました。 ポデュシュカ先生の夫人であるテレーザさんも、同じ思いを抱いていらっしゃったそうです。 そして、私たちのことを、ポデュシュカ先生のウィーンフィルでの後継者にあたり、先生の生前から公私にわたって親しくしていらっしゃったというホーネック先生に話してくださいました。 今回の、夢のような出会いは、こうして始まりました。 はじめは、レッスンをみていただくということでした。それだけでも私たちは、大いに感激しました。 世界一のオーケストラのコンサートマスターが私たちのために1週間という時間を割いてくださることに、これ以上の光栄はないとさえ思いました。それがなんと、指揮までしていただけるとは! ホーネック先生がはじめて、医学部食堂の練習会場に立たれたときの緊張と、感動と、その前ではじめてリストの「前奏曲」を弾いた後の先生の困ったような笑顔とを、私たちは忘れません。 先生の御指導は、弦楽器の弓使いのような技術面から、音の響き、音の表情にいたるまで、極めて緻密なものでした。 本来ならば技術的に未熟な私たちには大変難しいものになるところですが、先生のユーモアあふれるお言葉と、先生自ら弾いてくださるヴァイオリンの音色の美しさに、終始リラックスしたムードで進みました。 また連日行われたコンパにも、気さくに参加してくださる先生のお人柄に、団員の誰もが強く親しみを感じました。

(第18回サマーコンサート(1997年7月4日)プログラムより抜粋)


2008年9月20、21日には当団を訪問していただきました。20日には歓迎コンパを行い、21日には第45回定期演奏会の曲目である「さまよえるオランダ人」と「ラフマニノフ作曲交響曲2番」を指導していただき、今回も先生自らヴァイオリンを弾いてわかりやすく指導していただきました。 また、我々のサインラッシュにもお忙しい時間を割いて対応してくださいました。

※敬称略

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